沖縄集団自決訴訟 「死んではいけない」 大阪地裁 元隊長、軍命令説を否定
先の大戦末期の沖縄戦で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする本の記述は誤りとして、当時の守備隊長らが、ノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店に損害賠償や書物の出版・販売差し止めなどを求めた訴訟の口頭弁論が9日、大阪地裁(深見敏正裁判長)であり、本人尋問が始まった。午前中は原告の一人で元座間味島守備隊長の元少佐、梅沢裕さん(90)が出廷。「(自決用の弾薬などを求める村民に対し)死んではいけないと言った」と証言、軍命令説を改めて強く否定した。
午後からはもう一人の原告で元渡嘉敷島守備隊長、故赤松嘉次元大尉の弟、秀一さん(74)と大江氏の尋問。今回の訴訟で大江氏が証言するのは初めて。訴訟は、来年度の高校日本史の教科書検定で、集団自決を「軍の強制」とした記述を修正した根拠にもなったが、その後、教科書会社が削除された記述を復活させる訂正申請を出している。
原告側の尋問に対し、梅沢さんは当時の装備について「短機関銃と拳銃、軍刀、それに手榴(しゅりゅう)弾を持っていただけ」とし、「こんな小さな島では飛行場もできない。敵も上がってこないと思っていた」と当時の状況を振り返り、住民が集団自決に追いつめられる事態は想定していなかったとした。
米軍上陸直前、弾薬などを要求した村の助役らに「お帰りくださいとしか言わなかったという説もありますが」と問われると「そんな生やさしいことは言わない。『帰れ、死んではいけない』と言った」と答えた。
一方、梅沢さんが昭和55年に村民に出した手紙で《集団自決は軍の影響下にあり、全く申し訳なく遺憾》と記したことについて、被告側が「軍の責任を認めていたのか」と質問。梅沢さんは「全然認めていないわけではない」と一定程度の軍の影響を認めた。また、村の幹部から「忠魂碑前に集合」と伝えられた村民が軍命令と思い込み、集団自決に至った可能性も否定しなかった。
集団自決をめぐって、大江氏は自著『沖縄ノート』で、島に駐屯していた守備隊長の命令だったとする沖縄戦記の記述を引用し、名指しは避けながらも「戦争犯罪者」「ペテン」などと記載。これに対し梅沢さんらは軍命令を出していないのに、名誉を傷つけられたとして平成17年8月、提訴に踏み切った。
◇
【用語解説】座間味、渡嘉敷両島の集団自決
沖縄戦開始直後の昭和20年3月下旬、座間味島と渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。死者は座間味島で約130人、渡嘉敷島で300人余とされるが、正確な人数はわかっていない。
0 Comments:
Post a Comment
Subscribe to Post Comments [Atom]
<< Home